「LGBT」に「I」を付けくわえること:インターセックスは LGBT 運動の一員なのか?

LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)のグループは、自分たちのグループ名や綱領(会の目的などを書いた約束事)などに「I(インターセックス)」を付け加えるべきなのでしょうか。これは多くの人たちが抱く疑問ですが、しかし簡単な答えがあるわけではありません。

LGBTに「I」を付け加える理由は、いくつかあります。まず第一に、インターセックスの身体は病理化され抹消されていますが、それは精神医学の内部において同性愛が歴史的に取り扱われてきた道に似ています。同性愛はここ30年間かけて公式に病理ではないと認められましたが、トランスジェンダーの人々は「性同一性障害」を持っているというラベルを今でも貼られていますし、そして自然な人間の多様性としてよりもむしろ、何か異常なものとして取り扱われています。この観点からは、インターセックスは、病理化され「異常」として取り扱われている、もう一つの性的マイノリティーだと言えます。

もう一つの理由は、インターセックスの状態に対しての外科的処置が、ホモフォビアやトランスフォビア、女性蔑視に大きく動機づけられているからです。西洋医学は「機能する」男性と女性の性器というものを、患者がどれくらい性的な楽しみを得ることができるかではなく、異性間の性交(挿入)を行う能力があるかどうかという基準に基づいて、定義しています。これは、女性の膣がペニスを挿入されるために十分な深さがある限りにおいて、女性のクリトリスを切り取ることが(大部分は男性で異性愛である)医者によって医学的に許容されてい理由です。

しかしながら、LGBTグループが「I」を取り込むという動きについて、インターセックスの活動家たちの間でいくつかの懸念が持ち上がりました。

まず一部の人たちが心配したのが、「I」を追加することによって、全てのもしくはほとんどのインターセックスの人たちが、レズビアンやゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーであるという間違った印象を与えかねないのではないか、ということです。インターセックスの人々にはそういう人もいるし、そうでない人もいる、ということは明らかなことです。しかし、私たちが幼い子どもやその親たちと関わっている時に、LGBTと提携することで、インターセックスの状態についての情報や情報源を探し出したいというインターセックスの子どもの親たちを近づき難くさせてしまわないかという懸念があります。もっと悪くすると、(全てもしくはほとんどのインターセックスの子どもはLGBTになる/であるという)その誤解が、子どもの将来のセクシュアリティーや性自認についての親たちの不安を増し、それを和らげるために親たちがより多くの外科的手術を求めるようになってしまうかもしれないのです。

第二には、既に社会の中でLGBTとインターセックスとはしばしば混同されており、インターセックスが常にLGBTと結びつけられることは、インターセックスが独自の存在として顕在化することを妨げたり、もしくはインターセックスの人がインターセックスに特有の情報源を見つける事を困難にする可能性があります。例を挙げると、あなたがインターネットで「LGBTI」を検索した時、出てくるほとんどの文章は、インターセックスの人々に実際にあてはまる問題については何も言及されていない、LGBTの問題(結婚や差別・憎悪犯罪など)を扱ったもので す。

これと似たこととして、「I」を追加することで、インターセックスの人々が必要とするものが、まるでLGBTの人々が必要とすることと同じものであるかのように見せてしまうという懸念がまた、あります。例えば、差別禁止法や憎悪犯罪法にインターセックスを加えることは、インターセックスの人々が直面させられている人権問題に対処するには全く不十分ですが、にもかかわらずそれは、インターセックスの人々の権利が保護されているという間違った印象を与えます。

最後に、運動の形態がとても異なっています。インターセックスの状態を持った人々は、通常は、インターセックスであるという「アイデンティティー」や「プライド(尊厳)」の周りに集まるわけではありません。というのも、政治的なそして人権の問題を指摘するためには「インターセックス」は便利な言葉ですが、私たちがLGBTコミュニティーについて語ることができるような文脈での、インターセックスの「コミュニティー」とか「文化」は存在しないからです(とは言え、これは将来においては変わるかもしれません)。言い換えると、「I」を加えることで、必ずしもその組織がインターセックスの人々をより歓迎しているように見える訳ではないのです。多くの人にとって、「インターセックス」というのは単なる状態であり、もしくは過去であり、また再訪問を望まないぞっとする暴力の現場なのです。

では、「I」を加えるべきかどうかという問題について何を言うことができるでしょうか。私は、実際的なアプローチをすべきだと感じます。すなわち、もし「I」を加えることで、インターセックスの運動にあなたたちの組織がより時間や予算やエネルギーを提供できるようになるのであれば、ぜひ「I」を付け加えて下さい。もし「I」を加えることで、あなたがインターセックスの状態の人にとってのより優れた情報源になれるのであれば、そうすれば良いでしょう。その場合、LGBTに「I」を加えることを快く思わない一部のインターセックスの人を怒らせるかもしれないけれど、しかし少なくとも、あなたは、インターセックスの子どもたちに押しつけられる恥や秘密そして隔離を終わらせるための具体的な手助けをしていることになります。

しかし、中身のない表現として「I」を加えること、そのこと自体で何かを成し遂げているとは思わないでください。「インターセックス」をLGBTのグループに付け加えるということは、必ず、インターセックスの人々に特有のニーズについて対処する具体的な行動をとる約束を意味しなくてはなりません。それは、名目的な行為や単なるファッションとしての声明以上のことでなくてはなりません。そうでないと、それらはインターセックスの運動のためにはなりません。

そしてまた、あなたは、インターセックスの活動を助けるためにあなたの組織の名前を変える必要はないということも、覚えておいて下さい。というのも、LGBTの組織は、例えば人種主義や性差別に反対するなど他の社会正義の課題について取り組んでいるべきであるのとちょうど同じように、インターセックスの問題についても取り組むことができるし、また取り組んでいるべきだからです。重要なのは、あなたが何をするかであって、あなたの組織がどういうつづりであるかではないのです。

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原文: Emi Koyama, Intersex Initiative
邦訳: ひびの まこと/日本インターセックスイニシアティヴ

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